本活動報告には課題図書の結末について触れる箇所がありますので、未読の方はご注意ください。
今回の課題図書はチョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』でした。
本書は、韓国で300刷を超えるロングセラーの、正面から格差や差別を扱った作品です。そのストレートな文体に影響されたのでしょうか、なぜ本書が読まれてきたのか、自分はどのように読んだのかについて、率直な感想や意見が交わされる会になりました。本書では「こびと」から財閥のトップの息子まで、さまざまな状況の人たちがそれぞれの立場で必死に生きています。各短編から立ち上がってくる複数の声を聞き取ることで、各々の置かれた立場から世代を超えて––たとえ個々人が失敗したとしても––社会の歪みを自分のこととして正そうとする行動が、少しずつより良い未来を造っていく、そうでなくてはならない、という著者の願いが伝わってきたように思います。
話題の一部を以下に。
- 読書会メンバーが感情移入した登場人物について。特定の人物に集中せず、さまざまなキャラクターが感情移入の対象になっていました。異なる立場の読み手が共感できるように書かれているからこそ、読み継がれてきたのかもしれません。
- 登場人物たちの心理について。悲惨な状況にある貧困層と、彼らを利用しようとする富裕層のどちらにも、素直で優しい面を持った人たちがいました。それがテーマの過酷さにもかかわらず、本書が美しさや透明感を感じさせる理由なのではないかという意見がありました。
- 上記の意見に関連して、本書が社会問題を提起し、広く読まれることを意図しており、人物造形が単純化されていること、したがって、純文学としては弱点があるように感じた方がいらっしゃいました。その一方で、暗いだけではない美しさを感じたという方もおり、本書におけるリアリティのバランスの受け取り方が、読み手によって異なっていたことがわかりました。
- 小人の家族がときおり口にする「小人だから」というフレーズに、具体的に説明できないドロドロした感情が込められているのではないかという指摘がありました。小人の家族の中でも、このフレーズを使う人物と使わない人物がおり、スティグマの度合いが異なることが暗示されていました。
- 韓国は80年代に民主化を成功させています。かつてもがいて絶望しながらも、ヨンスのように後世の礎になった人たちが存在したこと、彼らは自分がやったことに何も意味を見いだせなかったかもしれないが、さまざまな運動がつながってよい変化がもたらされたことに感動した、というご意見がありました。著者は本書が二百刷を超えたとき、読まれ続けていることを「恥ずべき記録」と述べたそうです。しかし時を経て読まれ方が多様化し、2020年代の読者には勇気を与える作品にもなったといえそうです。
今回話題になった本については、申し訳ありません、管理人の不手際でデータが消えてしまったため、省略させていただきます。
次回の課題図書はヘルマン・ヘッセ『知と愛』、11月25日(土)15:30からの開催です。申し込みについては、こちらのブログで別途ご案内します。
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