今回の課題図書はアントニオ・タブッキ『イザベルに: ある曼荼羅』でした。
管理人は、主人公の旅に「曼荼羅」を持ち込む必要があるのだろうか?と訝しみつつ読んだのですが、今回は僧職の方にお越しいただきました! 曼荼羅とは何か、本作品の構造にどのように曼荼羅が組み入れられているかを詳しく(辛抱強く)教えていただいて、ひとりではとてもたどり着けない読みを共有できました。川島さん、議論を引っ張っていってくださった他の読書部会員のみなさん、ありがとうございました。
本ブログの前回のエントリで本書の翻訳者である和田忠彦の文から引用した、タブッキにとって「小説において虚構を構築するという行為自体が、「時間」や「記憶」の探求という主題に向き合うこと」だったという言葉が、まさに本作品の中心的なテーマであったように思います。そして、曼荼羅の概念はこのテーマの追求においてすぐれた補助線として使われていました。
参加者の方のコメントの一部を以下に。
- 表層から深層意識に沈んでいく構造を持った小説。
- 時間・空間をこえる浮遊感がある読みごこち。
- ダンテ『神曲』に似ている。女性を探し求める旅のなかで、罪悪感や哀惜の情が、道中で見る夢への欲望へと変遷していく。
- ある登場人物は「曼荼羅は解釈を待っている」と語る。これは解釈はひとつではなく、読み方はさまざまだという作者のメッセージではないか。
- 最終的に赦される話なのに平安にならない。中心が「無」であることの不安がある。
- 幻想のイザベルが許してくれる。イザベルを探す旅はつまり自分を赦す旅。
- 旅が好きなので気分転換になった(主人公の移動距離ではタブッキ作品中トップクラスではないでしょうか/管理人)。
- イザベルにたどり着き、読者を満たしてくれる流れがよかった。
- タブッキにしてはオチがある話で親切だった。
- 会話文に括弧がつかないのが新鮮だった。夢と現実が区別できなくなるような感覚があった。
- 時空を超え、読者を混乱させることで何度も読み直させる、境界がはっきりしない。
- 流動するのが人間(曼荼羅)で、時間と場所を切り取るのが写真。
- 中心/イザベルを求める旅において中心が無であったのは、中心にあるものが世界に満ちているということでもある。曼荼羅の中心とはある一点でありながら、果てのない全体(深層の世界)でもあり、個人の奥底には全宇宙があるというのが仏教の考え方。
- バイオリン弾きが曼荼羅を消すのが不安だった。わからない気持ち悪さがある。
第12回の課題図書は佐藤亜紀『バルタザールの遍歴』、9月26日(土)15:30からの開催です。申し込みについては、こちらのブログで別途ご案内します。
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