本書が単なるファム・ファタルものに収まっていないのはなぜか? クレッチマーの狂気、ホーンの体現する悪、マグダの美について、参加者全員で考えをめぐらす会になりました。
クレッチマーのマグダに対する欲望とホーンの戯画化への欲望は、どちらも社会一般の倫理とは相容れません。そのような誰にも理解されない欲望を追求した結果の滑稽な哀しみは、数十年後に書かれたナボコフの代表作『ロリータ』に反響しています。古めかしさを感じさせないストーリー、スピーディな展開、演劇のような視覚性の高い描写で読者を楽しませながら、登場人物たちに見えていること/見えていないことを考えさせずにおかないところは、実にナボコフらしい小説であるように思います。
参加者の方のご感想の一部を以下に。
- ナボコフが意地悪
- 好みではない小説なのに何度も読んでしまった
- 貝澤訳はリズムが良い。川崎訳はエレガント
- 赤の表現が物語の展開に合わせて変わっていく
- 「ミューラー」が頻出するのはなぜか
- クレッチマーに見えていたものは本当に美しかったのか
- 登場人物が自分らしさを貫くところがよかった
- クレッチマーとホーンが対照的、お互いに惹かれている
- マグダはアンネリーザと違うから魅力的だったのでは
- モルモットのチーピー=クレッチマー
第6回の課題図書はルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』、9月28日(土)15:30からの開催です。申し込みについては、こちらのブログで別途ご案内します。
0 件のコメント:
コメントを投稿